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3月, 2017の投稿を表示しています

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廃墟の落書き

怖いコピペとして、以下のものがある。 俺が小学生の頃の話。 俺が住んでいた町には廃墟があった。 2階建てのアパートみたいな建物で、壁がコンクリートで出来ていた。 ガラスがほとんど割れていて、壁も汚れてボロボロだったから、 地元の人間でも、あまりこの場所に近づくことはなかったらしい。 ある日、俺は友人と肝試しをすることになって、この廃墟に行くことにした。 まだ昼ぐらいだったから、建物の2階まで上がって建物を探索した。 そしたら並んでいる扉のひとつに、文字が書いてあるものがあった。 友人と近づいて確認してみると、扉の前に「わたしは このさきの へやに いるよ」と書いてあった。 俺と友人は扉を開けて中に入り、先に進むことにした。 歩いていくと分かれ道に突き当たって、壁に「わたしは ひだりに いるよ」と書いてあった。 少し怖かったけれど、俺と友人はそのままひだりに進むことした。 すると両側に部屋があるところに突き当たって、壁に「あたまは ひだり からだは みぎ」 と書いてあった。 友人はこれを見た瞬間に、半狂乱になって逃げ出した。 でも俺はその場所にとどまって、勇気を出してみぎの部屋に行くことにした。 部屋に入り進んでいくと、突き当たりの壁に「わたしの からだは このしたにいるよ」 と書いてあった。 下を見ると、「ひだりの へやから わたしの あたまが きてるよ うしろ みないでね」。 俺は急いで、その部屋の窓から飛び降りて逃げた。 それからはもう、その場所には近づいていない。 自分はこのコピペを、単に廃墟に怖い落書きがあったという話だと思っていた。 しかし検索してみると、このコピペを「意味が分かると怖い話」(以下「意味怖」)として紹介しているページが多くある。 その「意味」とは、「最後の『ひだりの へやから わたしの あたまが きてるよ うしろ みないでね』は落書きではなく声である(この文のみ「書いてあった」と書かれていないため)」というものだ。 というわけで今回は、このコピペの起源と、本当に「意味怖」なのかを調べてみた。

三毛別地図

『慟哭の谷』(木村盛武、2015)には、1915年当時三毛別の六線沢に住んでいた人たちの名前が複数出てくるが、地図は載っていない。 しかし『エゾヒグマ百科』(同著者、1983)や『ヒグマ そこが知りたい』(同著者、2001)には地図が載っていたので、それを参考にgoogleマイマップを作ってみた。

そうなんだ、すごいね!

こんなアスキー・アート(AA)がある。          _人人人人人人人人人人人人人人人_         >   そうなんだ、すごいね!      <        ´ ̄^Y^Y^Y^Y^Y^Y^Y^Y^Y^Y^Y^Y^Y^Y^ ̄             __、、=--、、         __            /    ・ ゙!       /・   `ヽ            | ・   __,ノ       (_    ・ |            ヽ、 (三,、,         _)    /             /ー-=-i'’       (____,,,.ノ             |__,,/          |__ゝ              〉  )          (  ) このAAは、相手のレスを褒めているように見せかけて、実はどうでもいいと思っていること、を示唆するときに使う。 AAのセリフ「そうなんだ、すごいね!」を検索したところ、関連キーワードとして「元ネタ」が表示された。 どうやら下の2人組が誰なのか、分かっていないようなのだ。 というわけで、今回はこのAAの起源を調べることにした。

10万人の宮崎勤

宮崎勤は、1989年に4人の女児を手にかけ、その罪状により2008年に死刑が執行された人物である。 彼はコミックマーケット(以下コミケ)参加者であり、事件発覚後はコミケに取材が殺到した。 そんな当時の報道に関して、とある説が流布している。 テレビニュースにて、「ここに10万人の宮崎勤がいます」という発言をしたレポーターがいたというのである。 これに関しては、確かに見たという人間がいる一方で、確たる証拠がないことから偽記憶ではないかという人もいるのである(狐志庵、2015)。 というわけで、今回はこの説がどのように広まっていったのかを調べていくことにする。 なお、この説が出来た時期については、自分以外にも調べている人がいるため、そちらも参考のこと( どこに10万人の宮崎勤がいたのか? (better) )。 また、この説の真贋には言及しない。 孫引きが多くなってしまったのが、ちょっと恥ずかしいところだ。