注目の投稿

廃墟の落書き

怖いコピペとして、以下のものがある。 俺が小学生の頃の話。 俺が住んでいた町には廃墟があった。 2階建てのアパートみたいな建物で、壁がコンクリートで出来ていた。 ガラスがほとんど割れていて、壁も汚れてボロボロだったから、 地元の人間でも、あまりこの場所に近づくことはなかったらしい。 ある日、俺は友人と肝試しをすることになって、この廃墟に行くことにした。 まだ昼ぐらいだったから、建物の2階まで上がって建物を探索した。 そしたら並んでいる扉のひとつに、文字が書いてあるものがあった。 友人と近づいて確認してみると、扉の前に「わたしは このさきの へやに いるよ」と書いてあった。 俺と友人は扉を開けて中に入り、先に進むことにした。 歩いていくと分かれ道に突き当たって、壁に「わたしは ひだりに いるよ」と書いてあった。 少し怖かったけれど、俺と友人はそのままひだりに進むことした。 すると両側に部屋があるところに突き当たって、壁に「あたまは ひだり からだは みぎ」 と書いてあった。 友人はこれを見た瞬間に、半狂乱になって逃げ出した。 でも俺はその場所にとどまって、勇気を出してみぎの部屋に行くことにした。 部屋に入り進んでいくと、突き当たりの壁に「わたしの からだは このしたにいるよ」 と書いてあった。 下を見ると、「ひだりの へやから わたしの あたまが きてるよ うしろ みないでね」。 俺は急いで、その部屋の窓から飛び降りて逃げた。 それからはもう、その場所には近づいていない。 自分はこのコピペを、単に廃墟に怖い落書きがあったという話だと思っていた。 しかし検索してみると、このコピペを「意味が分かると怖い話」(以下「意味怖」)として紹介しているページが多くある。 その「意味」とは、「最後の『ひだりの へやから わたしの あたまが きてるよ うしろ みないでね』は落書きではなく声である(この文のみ「書いてあった」と書かれていないため)」というものだ。 というわけで今回は、このコピペの起源と、本当に「意味怖」なのかを調べてみた。

10万人の宮崎勤

宮崎勤は、1989年に4人の女児を手にかけ、その罪状により2008年に死刑が執行された人物である。

彼はコミックマーケット(以下コミケ)参加者であり、事件発覚後はコミケに取材が殺到した。



そんな当時の報道に関して、とある説が流布している。

テレビニュースにて、「ここに10万人の宮崎勤がいます」という発言をしたレポーターがいたというのである。

これに関しては、確かに見たという人間がいる一方で、確たる証拠がないことから偽記憶ではないかという人もいるのである(狐志庵、2015)。



というわけで、今回はこの説がどのように広まっていったのかを調べていくことにする。

なお、この説が出来た時期については、自分以外にも調べている人がいるため、そちらも参考のこと(どこに10万人の宮崎勤がいたのか? (better))。

また、この説の真贋には言及しない。

孫引きが多くなってしまったのが、ちょっと恥ずかしいところだ。




起源

前掲のサイト「どこに10万人の宮崎勤がいたのか?(better)」によれば、同様の表現が初めて見られたのは、1989年の『別冊宝島104 おたくの本』の、米澤嘉博氏による一節だそうだ。
ここに十万人の宮崎がいると書いたマスコミもあった。
この書き方だと、新聞や週刊誌がこの発言をしたことになってしまうが、書き間違いということも考えられるので、これも「10万人の宮崎勤」発言とみなすことにする。


次にこの種の発言が見られたのは、1998年の『別冊宝島358 私をコミケにつれてって!』の、にしかた公一氏による一節であるらしい(「どこに10万人の宮崎勤がいたのか?」、2008)。
コミケット会場を前に「ここに十万人のM容疑者(実名)がいます」と叫んだリポーターもいたそうで、参加者にマスメディアへの強烈な不信感が生まれることとなった。
伝聞であるあたり、1998年時点でこの説は広まっていたようだ。



すすめけん以前

インターネット上で最も古くこの発言が確認できたのは、ニュース議論板のスレ(宮崎勤被告の逮捕のきっかけ)であった。

2000/9/9、「宮崎勤が何万人もいます」と発言したレポーターがいたという書き込みがあるのだ。

人数ははっきりしていないものの、「10万人の宮崎勤」発言と見ていいだろう。



次に確認ができた「10万人の宮崎勤」発言は、同人コミケ板(当時)の●○お前らの大先輩:宮崎努○●(dat)だった。

2000/11/1に、「ご覧ください、10万人の宮崎が居ます」といったレポーターがいたという書き込みがある。

また、2000/11/2にも「20万人のミヤザキが居ます」という書き込みがあるが、これも「10万人の宮崎勤」発言と考えることにする。



そして次に発言が確認ができたスレが、同じく同人コミケ板(当時)の宮崎勤事件で揺れたコミケ36(アーカイブ)だった。

また2001/4/14に、ワイドショーのレポーターが「ここ晴海に10万人の宮崎がいます!」と発言していたらしい、という伝聞情報が書き込まれる。

この書き込みに対して、「10万人の宮崎勤」発言はガメラ館(東京国際見本市会場東館の通称)を指さしながら行われたが、その日は女性参加者がほとんどだった、という興味深い返信がなされた。

コミケ36は8/13と8/14に開催されたようだが、そのうちどちらなのだろうか?

自分はコミケに詳しくないので、全く分からなかった。


他の書き込みで気になるのは、>>67の、「今ここに20万人の宮崎容疑者がいます!!」 という発言がフジテレビで行われた、というものである。

人数が定説と異なるが、そこよりもフジテレビだったと断言しているところのほうが興味深い。

つまり、「10万人の宮崎勤」発言はフジテレビで行われたという説が、このころに生まれたのではないだろうか。

そのためか2003年ごろすでに、当時フジテレビにいた木村太郎氏が、「10万人の宮崎勤」発言をしたのではないか、という書き込みが見られる(宮崎勤が集まる板はここですか?)。

また、レポーターではなくコメンテイターが発言者だったという書き込みが見られたのは、ここが初めてだった。


また、事件当時TBSがコミケの取材に来ていたという書き込みが、2002年に確認できた(コミケの忘れられない事件・ハプニング)。

正確に言うとこの書き込みは、「10万人の宮崎勤」発言がTBSであった、と言っているわけではない。

だが、1989年当時コミケに取材に来たのがTBSだけだという風に読めることと、この直前に「10万人の宮崎勤」発言があることから、書き込んだ人はTBSが「10万人の宮崎勤」発言をしたと思っていたのではないだろうか。

この考えは自分でも飛躍していると思うが、TBS説はこのころに生まれたのでは、と自分は考えている。



そして、同人板の祭の後のさびしさ~コミケが終わるたびに悲しい 3では、2003/7/4に、「ここに、10万人の宮崎がいます!」 という発言が女性レポーターによってなされた旨の書き込みが見られる。

発言したのが女性という説は、このころから生まれたようだ。



2004年以前の個人サイトやブログは、すでに閉鎖していることが多いようで、「10万人の宮崎勤」の証言が見つかったのは、カンガルーイベント史(アーカイブ)と、2004-04-25 - べべべのべだけだった。


2ちゃんねるも、期間指定してもヒットしないスレがあったり、検索ドメインによってはもう読めないスレがあったりして、あまり書き込みが見つからなかった。



ここまで調べての印象論だが、2004年以前は「10万人の宮崎勤」発言は、コミケ参加者の間で広まっていたのでは、と感じられる。

またこのころから、現在(2016年)広まっている説がすでに形成されつつあるというのは興味深い。



米澤嘉博かく語りき

1989年当時に、「10万人の宮崎勤」発言をしていた米澤嘉博氏。

彼はコミケ創立メンバーの一人であり、すでに故人である。

米澤氏は、2002年に始まった松文館裁判を傍聴していたのだが、そこで会った伊藤剛氏に、「10万人の宮崎勤」発言が実在したと話したという(伊藤剛、2004)。

またこの報道がされたのはテレビ朝日のニュースステーションだったとも言っていたらしい。

この会話があった時期がはっきりしないが、松文館裁判の第一審初公判が2002年12月なので、この時期から2004年3月までの間に行われたのは確実だ。



すすめけんと同人用語

漫画家の平野耕太氏が月刊少年エース増刊 エース桃組で連載していた、『進め!以下略』。

2004年秋号(2004/9/6)に掲載の第16話「すすめけん」の中で、平野氏は女性レポーターが「10万人の宮崎勤」発言をした、と書いている。

下のグラフはGoogle Trendsで「10万人の宮崎勤」を調べたものだが、2004年の夏になって急に検索数が増えているのだ。

この漫画がきっかけで「10万人の宮崎勤」が広まったといっても、間違いはないだろう。


また、この漫画の影響かは不明だが、同時期(2004/8/12から12/13)に「同人用語の基礎知識」の「子供向けポルノ追放運動」の項目に、TBSの女性レポーターが「10万人の宮崎勤」発言をしたことが加筆された(BeforeAfter)。

TBSの女性レポーターといえば、ということで、この時期に東海林のり子説が生まれたらしい(「ここに10万人の宮崎勤がいます」(アーカイブ))。



「フィギュア萌え族」騒動

2004年11月に発生した奈良女児誘拐殺害事件、その犯人の男性が逮捕されたのは年末になってからで、2013年に死刑が執行された。

この事件を、大谷昭宏氏は「フィギュア萌え族」という言葉を使い論じたわけだが、この評は的外れであるとして、オタクの人たちを中心に批判が相次いだ。

GoogleTrendsを見ると、2004年の12月になって急に検索数が増えており、「フィギュア萌え族」と「10万人の宮崎勤」が重ねられていたことが分かる。



真偽をめぐる論議

2008年6月、「10万人の宮崎勤」の検索数が急に上昇した。

これは、宮崎勤の死刑が執行されたためだと思われる。

しかしこの時期になると、前出の「どこに10万人の宮崎勤がいたのか?(better)」や、「宮崎勤 死刑執行 - 日々のものごと日記(政治問題中心)」などで、「10万人の宮崎勤」発言が本当にあったのかが、論じられるようになる。



論議があったことは、Wikipediaでもよくわかる。

Wikipediaに、「10万人の宮崎勤」が書き込まれたのは、2005年から2006年にかけてのことだった。


例えば「おたく」の項目では、2005/8/13に初めて「10万人の宮崎勤」発言が現れた。

この時はTBSの女性アナウンサーが発言主とされていたのが、何度かの内容修正のち、2006/10/14には東海林のり子と断定された。

また「コミックマーケット」の項目では、2005/8/29に初めて「10万人の宮崎勤」発言が現れ、2006/6/18にはTBSであったとされ、2007/3/13には東海林のり子がこの発言をしたことになっている。

また「東海林のり子」の項目では、2007/1/14にこの書き込みがなされた。


しかし2007年以降、これらの項目の「10万人の宮崎勤」は消されることになる(おたくコミックマーケット東海林のり子)。


同人用語の基礎知識でも、2008/12/27から2009/6/20の間に、TBSという情報が削除され(参考)、2010/5/11から2010/10/11の間に、「10万人の宮崎勤」発言があったことがぼかされるようになる(参考)。


おそらく、この説が「10万人の宮崎勤」の記憶を持たない人にも広まったことや、確たる証拠がないことが判明したために、説自体の真偽を問う声が出てきたのだろう。


まとめ

出来事
198988宮崎勤逮捕。
コミケに取材が殺到。 

1224米澤嘉博氏、「10万人の宮崎勤」証言(『別冊宝島104 おたくの本』)
2001414発言があったのは、女性参加者の多い日だったとの証言あり。
フジテレビ説の初出?
参考:宮崎勤事件で揺れたコミケ36(アーカイブ)
2002722TBS説の初出?(コミケの忘れられない事件・ハプニング
200374女性説の初出?(祭の後のさびしさ~コミケが終わるたびに悲しい 3
2003821木村太郎(フジ)説の初出?(宮崎勤が集まる板はここですか?
2002-2004

米澤氏、テレ朝のニュースステーションと証言。(伊藤剛、2004)
200496平野耕太氏、『進め!以下略』にて、女性レポーターの発言として「10万人の宮崎勤」発言を載せる。
20041114東海林のり子(TBS)説の初出?(「ここに10万人の宮崎勤がいます」(アーカイブ)
20048-12
同人用語の基礎知識、「子供向けポルノ追放運動」の項目に、「10万人の宮崎勤」発言をTBSの女性レポーターのものとして追記する。(アーカイブ
2004年末

奈良女児誘拐殺害事件発生。
報道の仕方についてオタクを中心とした批判が相次ぎ、「10万人の宮崎勤」発言も注目される。
2005-2006

Wikipediaに「10万人の宮崎勤」発言が書き込まれる
2008617宮崎勤、死刑執行
2007-2008

真偽を疑う人たちが現れ、記述が削除されるサイトが出てくる


いろいろと調べてはみたけれど、これらの書き込みは事件から10年以上後の書き込みである。

しかし1989年にもパソコン通信はあったのだから、オタクの人たちの情報交換は盛んにおこなわれていたはずだ。

つまり当時のログが残っていれば、明確な「10万人の宮崎勤」の広がりや、各説の発生時期が分かるはずなのだ。

何より当時の生の声が分かる。

しかし自分はパソコン通信のログを持っていないし、ネットの事情に詳しくもないから、2ちゃんねる以前のことは調べられなかった。


参考

AFPBB(2008)「連続幼女殺害事件の宮崎死刑囚ら3人、刑執行 写真1枚 国際ニュース:AFPBB News」<http://www.afpbb.com/articles/-/2406630>

AIDE新聞(2010)「AIDE新聞(コミケ77カタログ出張版)」<http://www.kyoshin.net/aide/c77/02.html>

狐志庵(2015)「記憶はデマに変貌する」<http://blogos.com/article/104977/>

伊藤剛(2004)「この次は「戦メリ」よ! (微妙に私信) - 伊藤剛のトカトントニズム」<http://d.hatena.ne.jp/goito-mineral/20040317>

児ポ法改悪阻止・青環法粉砕実行委員会「松文館裁判」<http://www.geocities.co.jp/AnimeComic-Tone/9018/shoubun-index.html>

松谷創一郎(2016)「マスコミは猟奇事件の容疑者をどう報じるか――2005年「奈良幼女誘拐殺人事件」における物語化」<http://bylines.news.yahoo.co.jp/soichiromatsutani/20160331-00056058/>



同人用語の基礎知識のアーカイブへのリンクが間違っていたので、日にちも含め修正。(2017/4/18)

年表を修正・表記変更
(2017/4/28)

コメント

このブログの人気の投稿

日本を怒らせる方法コピペ

エルマ族のケムチャ

猫虐待コピペ